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都筑区

都筑区(つづきく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつで、港北ニュータウンを中心とする旧港北区の北西部(山田、中川、茅ヶ崎地区等)と旧緑区の北東部(川和、池辺、東方、荏田南、荏田東地区等)からなる。 農家数では市内18区中最大である。

南部の鶴見川沿いを除いて全域が丘陵地帯であり、起伏はなだらかだが高低差は大きい。東部を第三京浜道路、西部を国道246号、南部を鶴見川に囲まれる形になっており、中央部を横浜市営地下鉄が通っている。

かつてこの地一帯が「都筑郡」という地域であったことから、分区に際して名付けられた。都筑郡各町村が横浜市に編入されたときに「都筑郡」は消滅したが、「都筑」という地名は区名として復活。また、街作りが新しい「都を筑く」という区民の総意で進むことを願う意味も込められている。

現在の都筑区川和町には旧都筑郡役場が置かれ、かつての都筑郡の中心地であった。なお、当時の都筑郡の範囲は現在の都筑区より大きく、現在の緑区・青葉区・旭区の全域、保土ケ谷区の西谷町・上星川町・川島町・東川島町・上菅田町・新井町・今井町、港北区の高田西一丁目~五丁目・高田東一丁目~四丁目・新吉田東一丁目~五丁目と八丁目・新吉田町・新羽町、および新吉田東六~七丁目と綱島東四丁目の各一部、並びに川崎市麻生区の旧柿生村・旧岡上村の部分が含まれた。

南部の鶴見川沿いは古くからの工業地帯となっており、特に池辺町は大規模工場だけでなく中小企業の工場が立ち並んでいる。また港北ニュータウンの開発と共に、企業の本社や研究所も多く所在するようになった。

古くは池辺町、牛久保町、大熊町、大棚町、折本町、勝田町、川向町、茅ヶ崎町、中川町、東方町、(東・南・北)山田町など、雑木林や谷戸に囲まれた横浜の農村地帯で農業が生活の基盤であった。
戦後、港北ニュータウンの中に農業を引き続き営むための「農業専用地区」が整備され、現在も東方農業専用地区などを中心に「横浜ブランド農産物」として、ホウレンソウやコマツナなど軟弱野菜の生産が意欲的に取り組まれている。ちなみに小松菜の生産量は日本一である。
戦前の川和町では菊が江戸時代から栽培され、「川和の菊」として有名であり、皇族や著名人などに親しまれた。
桜並木
大棚町
勝田町
茅ケ崎町
茅ケ崎中央
茅ケ崎東一~五丁目
茅ケ崎南一~五丁目
中川一~八丁目
牛久保町
牛久保一~三丁目
すみれが丘
北山田一~七丁目
南山田町
南山田一~三丁目
東山田町
東山田一~四丁目
新栄町
勝田南一~二丁目
牛久保東一~三丁目
牛久保西一~四丁目
川向町
東方町
折本町
大熊町
池辺町
佐江戸町
川和町
荏田東町
荏田東一~四丁目
荏田南町
荏田南一~五丁目
大丸
見花山
平台
葛が谷
富士見が丘
仲町台一~五丁目
加賀原一~二丁目
二の丸
川和台
長坂
高山
早渕一~三丁目
中川中央一~二丁目
大棚西
あゆみが丘

面積 27.88km2
総人口 185,563人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市港北区、緑区、青葉区
川崎市高津区、宮前区
区の木 (里山の木)ヤマモミジ、ヤマザクラ、コナラ、シデ
(人里の木)サルスベリ、モクセイ、ウメ

青葉区

区の東側は東名高速道路(第一東海自動車道)と国道246号が走っており、それに沿うようにして東急田園都市線が走っている。区の西側は横浜高速鉄道こどもの国線が走っている。区の北西側は、東京都町田市や川崎市麻生区が接している。

地勢上、横浜都心部よりも、東京都心部に通勤通学する人が多く、このことを揶揄して「青葉都民」や「横浜都民」などとも言われている。東京都内への就業率は6割以上に達すると言われ、横浜市内で市外就業率が一番高い。

東急田園都市線の市が尾駅周辺は青葉区役所、青葉警察署(旧緑北警察署)、県税事務所、緑税務署などを擁する行政上の区の中心部である。区の中心を南北方向に鶴見川が貫流する。人口は港北区についで2番目に多い。

市町村制施行前は現在の青葉区の区域は都筑郡恩田村、奈良村(後に田奈村)、下谷本村、上谷本村、成合村、鴨志田村、寺家村、鉄村、黒須田村、大場村、市ヶ尾村(後に中里村)、荏田村、石川村(後に山内村)、大棚村、牛久保村であった。
1889年4月1日 市町村制施行により、都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が誕生。
1939年4月1日 都筑郡田奈村、中里村、山内村、中川村が横浜市港北区に編入。
1969年10月1日 港北区から分立し緑区になる。(旧中川村の地域を除く)
1986年11月 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年11月6日 港北区と緑区を再編し青葉区・都筑区を新設。
大部分は旧緑区から変更されたが旧港北区から青葉区になった地区もある。現在の新石川四丁目20番地付近・国道246号線東京方面沿いの地区がそれで、再編前は旧港北区中川町及び牛久保町であった。この地区はマンション群があり100世帯ほどが居住している。
発足当時の青葉区役所は、緑区北部支所の場所を受け継いだものであったが、現在の青葉区役所は福祉保健センター(旧保健所・旧福祉事務所)や公会堂・スポーツセンターなどが併設された青葉区総合庁舎となっている。
1998年3月20日 東名高速道路横浜青葉インターチェンジ開設。
2002年10月20日 コミュニティ放送局、FM-salusが開局。

青葉台一~二丁目
区内最大商業地域
あかね台一~二丁目
あざみ野一~四丁目
あざみ野南一~四丁目
市ケ尾町
区の行政中心地域
美しが丘一~四丁目
美しが丘西一~三丁目
梅が丘
荏子田一~三丁目
荏田北一~三丁目
荏田町
荏田西一~五丁目
榎が丘
大場町
恩田町
柿の木台
桂台一~二丁目
上谷本町
鴨志田町
鉄町
黒須田
桜台
さつきが丘
寺家町
下谷本町
しらとり台
新石川一~四丁目
すすき野一~三丁目
すみよし台
たちばな台一~二丁目
田奈町
千草台
つつじが丘
奈良一~五丁目
奈良町
成合町
藤が丘一~二丁目
松風台
みすずが丘
みたけ台
緑山
もえぎ野
元石川町
もみの木台
若草台

寺家ふるさと村
東急田園都市線青葉台駅からバスで青30・寺家町循環行きに乗り「寺家ふるさと村」下車、または青31・鴨志田団地行きに乗り終点下車徒歩2分。
こどもの国
横浜高速鉄道こどもの国線で終点「こどもの国」下車徒歩3分、または小田急線鶴川駅や東急田園都市線青葉台駅から奈良北団地方面行きバスで「こどもの国」下車。
佐藤春夫旧居跡(鉄町)
『田園の憂鬱』を執筆。

泉区

総面積23.56平方キロメートルは、市内18区中第9位、市総面積のうち5.42%。
横浜市の南西部に位置し、相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた比較的平坦な台地の一部で、区の西側を境川と和泉川が南北に流れ、北側を阿久和川、東側を宇田川(村岡川)が流れている。台地の辺縁には湧水が分布する。河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていた。区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成る。
西側は境川を市境として藤沢市、大和市と接し、北側は瀬谷区、旭区、東側と南側は戸塚区と接する。相鉄いずみ野線と横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、及び県道長後街道(旧・大山道)が区を横断している。
1965年以降に市営上飯田団地、県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、急速に宅地開発が進んだ。
かつて戸塚区に属し、日立製作所戸塚工場・横浜工場、ブリヂストンの従業員らのベッドタウンでもあり、戸塚とのつながりが深い。持ち家比率と、一戸建て率が市内一位である。

境川、阿久和川、和泉川に沿った丘陵上に縄文時代の遺跡が分布する。弥生台は開発時に弥生時代の土器が出土したことによる。
古墳(高塚古墳)は今のところ区内では未見である。横穴墓は上飯田町・柳明遺跡などが挙げられる。
律令制下の動向は明らかでない。相模国鎌倉郡であった(下飯田町本郷が高座郡涓堤郷であったとする説もあるが不明)。高座郡との境界は境川である。ゆえに広義での鎌倉であった。
新橋町、岡津町が鎌倉郡大島郷と推定されている。
平安時代半ばの人物で鎌倉党の祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」が区内に存在する。大庭御厨を根拠とする鎌倉党のテリトリーであった可能性がある。境川やその支流をたどって開発を進めていったのであろう。また対岸の渋谷氏の影響も考えられる。
同様に「サバ神社」(左馬、鯖などの字を充てる)がいくつかある。これは一時期鎌倉(現在の寿福寺の地)に住んでいた左馬頭源義朝(または源満仲)を祭神とする。義朝は大庭御厨に乱入して殺傷事件を起こしており、鎌倉党とは微妙な関係にあった。
岡津町のマンション「ルネ戸塚弥生台」付近は「玄蕃山」と呼ばれ、鎌倉幕府御家人と伝える「島田三郎」(史料にはみえず。甲斐氏か)ゆかりの「島田の塚」があった。
岡津は、横浜市立岡津小学校一帯に城が築かれ、少弐氏や甲斐氏が支配したといわれる。また、現在の富士スーパー付近は近世、処刑場であった。
やがて同じ郡内に鎌倉幕府や鎌倉府がおかれ、政治の中心地となる。首都鎌倉に向かうための鎌倉街道上ノ道が通っていた。また、新田義貞による鎌倉攻めはたつ道(横浜市道環状4号)であったという。
飯田は鎌倉党の一族ともいわれる飯田氏の苗字の地。飯田五郎家義は石橋山の合戦で敗れた源頼朝を救ったことで知られる。その館跡は現在「富士塚城址」という碑が建つ公園近辺という。飯田氏は当地の御家人として『吾妻鏡』などに名を遺している。
和泉町の長福寺・須賀神社は、北条氏によって滅ぼされた泉親衡ゆかりの寺社という。ただし親衡は信濃の御家人であり、泉姓から付会した伝承と思われる。同地の和泉中央公園の湧き水が「和泉」の地名の発祥といわれている。
上飯田町の本興寺は、寺伝では日蓮ゆかりの地であるという。のちに鎌倉にあった不受不施派寺院が慶長の法難にともなって移転してきた(現在、再興された同名寺院が鎌倉市大町2丁目にあり)。日什門流で戦前まで顕本法華宗本山、現日蓮宗由緒寺院。

岡津町
新橋町
弥生台
中田町
和泉町
上飯田町
下飯田町
池の谷
緑園一~七丁目
白百合一~三丁目
西が岡一~三丁目
領家一~四丁目
桂坂
中田東一~四丁目
中田北一~三丁目
中田西一~四丁目
中田南一~五丁目

栄区

栄区は横浜市の南部に位置し、東西に長く(東西約7km、南北約6km)、東は金沢区、磯子区、西は戸塚区、南は鎌倉市、北は港南区に接している。旧相模国鎌倉郡(一部が高座郡に属していたとする説もある)に属し古来より鎌倉とはゆかりの深い地域である。なお金沢区との区境は武相国境である。

区の中央を、かつてしばしば氾濫したいたち川(いたちがわ、「いたち」の表記は『けものへんに由』)が東西に流れ、また西側を柏尾川が南北に流れて低地を形成し、その東側・南側を三浦半島に連なる丘陵地がとり囲むように広がる。柏尾川西岸を中心とした低地には工場、また丘陵地を造成した団地が多く、また丘陵地は市民の森という森林公園にもなっている。本郷台駅を中心に、いたち川沿いに広がる本郷地区と、西部の柏尾川沿いの豊田地区からなる。

交通の面では、区の北西地域をJR根岸線(京浜東北線)が横断し、また区の西部には柏尾川に沿って南北に東海道本線と横須賀線が縦断し東京あるいは小田原・横須賀方面と接続されている。区北部・南部に東西方向にそれぞれ環状3号道路と環状4号道路が通っている。

商業地は主に本郷台駅周辺と大船駅周辺。区役所や警察署など官公庁は本郷台駅周辺に集中している。南側の鎌倉市と接する部分にある大船の繁華街は横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっており、大船駅のプラットフォームも横浜市栄区と鎌倉市の双方にまたがっている。

山林の面積は212haで、市域全体の約17.5%を占める。一方住宅地は市域の60.4%に過ぎず、横浜市全体と比較すると、宅地割合が少なく山林割合の多い地域である。

山:円海山(山頂は磯子区)
河川: 柏尾川、いたち川
湖沼: 瀬上池

栄区地域の歴史は、原始・古代にまでさかのぼることができ、古代、鎌倉郡尺戸郷、荘園時代の山内荘が存在した。横穴墓の分布が特徴的である。相模国鎌倉郡であったため、特に、鎌倉時代には幕府との結び付きが強く、いたち川流域の豊かな田園が食料生産を担い、古代から伝わる製鉄の技術とともに東北地方に対する軍事政策のうえで重要な役割を果たしていたと考えられており、鎌倉道や数多くの史跡が残されている。また、鎌倉が近いことから、中世の動乱期にたびたび戦場となっており、 中村氏の一族、中村常宗が笠間に移り住み勢力を張った。

近代の発展としては、明治21年の大船駅の開業と翌年の横須賀線の開通による大船駅周辺の市街化と、 昭和42年の大船PX(占領軍物資倉庫群)返還以降の本郷台駅周辺の公共施設や高層住宅の建設、そして昭和40年代から50年代にかけての丘陵地の大規模な住宅開発があげられる。

区名は、公募により本郷区、南戸塚区、湘南区、栄区、桂区、大船区、根岸区、光区、戸塚南区、上郷区などから選定し、本郷、豊田の両地区の共栄を期し、新しい区として未来に向けて、大きく栄えていくことを祈願し、明るく、華やかなイメージのある、簡潔で、語調もよい区名を決定した。 (公募時に「戸塚A区」とされていたので「A」→「栄(えい)」とされたという説もある。)

上郷町
公田町
中野町
鍛冶ケ谷町
鍛冶ケ谷一~二丁目
小菅ケ谷町
小菅ケ谷一~四丁目
桂町
笠間町
笠間一~五丁目
長尾台町
田谷町
金井町
飯島町
長沼町
本郷台一~五丁目
若竹町
元大橋一~二丁目
庄戸一~五丁目
長倉町
東上郷町
犬山町
尾月
上之町
亀井町
野七里一~二丁目
小山台一~二丁目
柏陽
桂台北
桂台中
桂台西一~二丁目
桂台東
桂台南一~二丁目

面積 18.55km2
総人口 124,639人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:磯子区、金沢区、
戸塚区、港南区
鎌倉市
区の花 キク

瀬谷区

最高地 北町 海抜93.6m
最低地 阿久和南三丁目 海抜36.7m

横浜市の西端に位置し、区域は大和市との境界である境川に沿って南北に細長い。

北部は東京都町田市、緑区、南部は泉区、東部は旭区に接している。相鉄線を挟んで北部は平地が広がり、南部は川沿いに段丘上になっている。

気象庁横浜地方気象台の情報や注意報・警報は横浜・川崎である。横浜市内ながら、冬には氷点下も出す地域で、気候は夏暑く、冬寒い。

大和市との境に境川が流れている。

台風や大雨の場合、床下浸水等の被害がしばしば起きる。特に1991年(平成3年)の台風の時は鹿島橋を架け替えるほどであった(鹿島橋の管理は大和市がおこなっている)。現在の環状4号線の開通する前には、跨線橋のある辺りで雨水幹線の工事をしていた。
他に大門川、相沢川、和泉川、阿久和川がある。和泉川と阿久和川は源流が区内にある。

2004年度の区内の緑被率は35.9%で、横浜市の31.0%を上回っている。

かつて区北部には国鉄所有の土地があり、その跡地を中心にして工業団地が造成された。東名高速横浜町田インターチェンジや国道16号、国道246号に近いことから、横浜総合卸センター(卸本町)や横浜インナーパーク(北町)などの工場団地が集中している。生活協同組合連合会やCOOP神奈川、富士シティオ、花王、イトーヨーカドーの物流拠点、読売新聞・日本経済新聞・東京新聞の印刷工場、佐川急便、日本通運、ヤマト運輸などの流通拠点がある。またセコム、清水建設、太平洋セメントグループのテイヒュー(旧帝国ヒューム管)横浜本社・工場、オリックス、などが工場や事務所を置いている。

区内には開発されてない土地もあり農業も盛んである。上瀬谷の農業専用地区は、横浜市内にある農業専用地区の中でも一番広く、920,000 m2ある。

北部を中心にウド栽培が行われ、その産地は海軍道路周辺に集中する。これは、既に撤廃されている上瀬谷通信隊の周辺における建築物の高さ制限、同地に旧帝国海軍による弾薬庫の遺構が多数残されていたことなどの理由によって、農作物として半地下で栽培できるウドが選ばれたためである。

下瀬谷地区では、露地野菜やハウス栽培が中心。阿久和地区を中心に芝の栽培が盛んである。阿久和・宮沢地区では、酪農、肉牛、養鶏の農家がある。また各地に直売所がある。

鷹見塚…江戸幕府開幕の頃におかれ、5代将軍徳川綱吉の時に一時廃れたが、8代将軍徳川吉宗の代に復活した鷹狩りを行う際の指揮台として用いた物見塚。区内には2箇所設置された。現在では瀬谷区4丁目の環状4号線沿いに1箇所残るのみである。
白鳳庵…個人の私邸に、30種約3,000株のあじさいが植えられており、開花時期に合わせて一般開放されている。入り口の門は、横浜税関、神奈川県庁の正門を経て、現在の場所に移築された由緒のある門である。
乳出神の碑…東野第一公園にある。碑によると、この周辺にわき出ている清水を持ち帰って飲むと、母乳の出が良くなったという言い伝えがあるという。昭和42年頃までは乳出神を祭った泉があったが、近年の造成工事によって清水は断たれた。

瀬谷一~六丁目
中央
相沢一~七丁目
瀬谷町
本郷一~三丁目
中屋敷一~三丁目
上瀬谷町
竹村町
目黒町
五貫目町
卸本町
北町
東野
東野台
橋戸一~三丁目
北新
下瀬谷一~三丁目
南瀬谷一~ニ丁目
南台一~ニ丁目
宮沢一~四丁目
二ツ橋町
三ツ境
阿久和東一~四丁目
阿久和西一~四丁目
阿久和南一~四丁目

阿久和…新羅の古語で水を意味する「アカ」にちなむともいい、また、「アクワ」は「川の流れの曲がった様」を意味する。以前は泉区の新橋町等も含まれていて、現在瀬谷区になっている地域は上阿久和で、泉区の新橋周辺は下阿久和と呼ばれていた。字として、鎌取、東原、運上野、宮沢台、向原、狢久保、吉原、小金、宮腰、細川、宮下、西村、蟹沢、雨池、猪窪、馬場畑、赤松戸、隼人、榊山、藤ケ谷、中村、土橋、善光寺谷、大久保原、山王塚、岡本、慶林谷、日向山がある。
三ツ境…『新篇武蔵風土記稿』の「二俣川村」に「密經(みつきょう)新田 小名(こな) 三經(みつきょう) 東北の方なり」の記録が残されている。「三ツ境」のいわれについては、二俣川村、都岡村川井分、中川村阿久和分の三村の境を意味するとか、三ツ境の「境」は「橋」であるとか、旭区東希望が丘の三経山長楽寺に関係した仏教の「密経」に因(ちな)む、とかの諸説がある。

緑区

区域は鶴見川流域に沿って東西に細長い。中央を鶴見川やJR横浜線が東西に縦走している。鶴見川流域は平地であるが、南側は丘陵地となり住宅地が多く、旭区に隣接する。北側は緑産業道路である都市計画道路川崎町田線に沿って工業団地となっている。JR横浜線や都市計画道路横浜市道山下長津田線に沿って住宅地や団地が広がるが、南側丘陵部は近年宅地化された新興分譲地も多い。鶴見川と恩田川合流地点から上流は市内でも珍しい広大な農業用地となっており、稲作や梨生産が見られる。

河川:鶴見川(谷本川)、恩田川

1939年 都筑郡が横浜市へ編入し、神奈川区のうち大綱地区・日吉地区・師岡地区・城郷地区の小机・鳥山と都筑郡のうち都岡村(現旭区)・二俣川村(現保土ヶ谷区・旭区)、柿生村・岡上村(川崎市多摩区→麻生区)を除く新治村(現緑区・保土ヶ谷区)・田奈村(現緑区・青葉区・瀬谷区)・川和町(現都筑区)・中里村(現緑区・青葉区)・山内村(現青葉区・都筑区)をもって港北区とする。(都筑郡の消滅)
(旧都筑郡西谷村は1927年に横浜市へ編入し、同年行政区の設置により保土ヶ谷区の一部となっている)

1969年 新治(うち上菅田町・新井町は保土ヶ谷区へ編入)・田奈・川和・中里・山内地区を緑区とし、港北区より分区して成立。
1980年 長津田町・瀬谷区瀬谷町・旭区上川井町の一部より瀬谷区卸本町を新設する。
1986年 緑区北部支所を市ヶ尾町に開設。分区準備期間に入る。(山内支所を閉鎖)
1994年 区の北部を青葉区・都筑区へ分区し、現在の区域となる。

主な産業 - 農業・工業
農業 - 鶴見川・恩田川合流点から上流の川沿いで盛ん。恩田川沿いは水田、谷本川沿いは「浜なし」ブランドの梨畑が広がる。
工業 - 鴨居駅近辺から中山駅近辺にかけて工業施設が集まっており、トステム・雪印乳業の工場や、白山ハイテクパークという研究開発施設の集積地(ジャーマンインダストリーセンター、マクニカ、村田製作所、ケンウッドなど)が所在する。
商業 - 区内の駅前に集中している。なお西部は環状4号線周辺を軸としてショッピングセンターの進出が相次いでいる。

長津田町
長津田一~七丁目
長津田みなみ台一~七丁目
鴨居町
鴨居一~七丁目
竹山一~四丁目
東本郷町
東本郷一~六丁目
白山一~四丁目
上山一~三丁目
中山町
寺山町
台村町
森の台
新治町
三保町
青砥町
小山町
十日市場町
霧が丘一~六丁目
いぶき野
北八朔町
西八朔町

面積 25.42km2
総人口 173,411人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市神奈川区、保土ヶ谷区、港北区
旭区、瀬谷区、青葉区、都筑区
東京都:町田市
区の木 カエデ
区の花 シラン
区のうた 「緑区、この街が好き」、「緑区音頭」

旭区

1950年代から、横浜市中心部や京浜工業地帯への通勤者のベッドタウンとして宅地化が進み、丘陵地や農地に万騎が原、上白根、左近山、ひかりが丘、横浜若葉台団地などの大規模団地が造成され人口が激増した。1999年4月には日本最大級のよこはま動物園ズーラシアが開園した。横浜市編入以前は都筑郡に属し、郡役所が都岡町に置かれたが、後に都筑区川和町に移転。隣の瀬谷区との区境は武相国境である。相模鉄道沿いの二俣川・鶴ヶ峰地区は、横浜市総合計画「ゆめはま2010プラン」で副都心に位置付けられており、2007年現在では鶴ヶ峰駅南口地区において再開発事業を行っている。[1]

今後は2010年度より中尾町の二俣川県有地に所在する県の行政機関のうち、県立がんセンターと運転免許試験場において、県有地内での相互移転を含む大規模な改修が行われる予定。

区の南部を相鉄本線が横断し、二俣川駅から南にいずみ野線が分岐する。区の北西から東に帷子川が貫流し、これに国道16号(旧八王子街道)が平行する。帷子川は大幅な改修工事により旭区役所および鶴ヶ峰駅近辺において流域の移動や暗渠化を併せた整備が行われている。区を北西から南東に国道16号保土ヶ谷バイパスが貫通しており、区内の道路と接続し旭区の大動脈となっている。中央部は東西に中原街道が通っており、他にも鎌倉街道および東海道新幹線が通る。

相模鉄道二俣川駅の北側には運転免許試験場・がんセンター・公文書館など県の施設が集まり、二俣川駅と鶴ヶ峰駅の間の県道厚木街道沿いに旭区役所・旭警察署・旭郵便局が設置され、区の中心となっている。

なお三ツ境駅の北側も旭区であり、瀬谷区との境に聖マリアンナ医科大学横浜西部病院や程ヶ谷カントリー倶楽部がある。

古代、武蔵国都筑郡に属し、保土ヶ谷区から当区にかけて、広大な榛谷(はんがや)御厨(榛谷氏は坂東八平氏のうち秩父氏の流れ)が存在し、善部(膳部)、半が谷などの地名が残る。 二俣川も参照。

1063年 - 白瀧山成願寺(現在の白根不動)が鎌倉権五郎景政により建立される。
1295年 - 鶴ヶ峯の戦い。
1926年5月12日 - 相模鉄道の前身で、相模川の砂利運搬を主な業務とする神中鉄道が二俣川駅~厚木駅間を開業させる。
1930年10月25日 - 鶴ヶ峰駅が開業。(1933年12月27日に横浜駅まで開通)
1969年10月1日 - 保土ヶ谷区から分区し発足した。
1990年 - 二俣川駅周辺地区の再開発が始まる。
2003年 - 鶴ヶ峰駅南口地区の再開発が始まる。

タカナシ乳業の本社所在地。
一昔前までは農家や、帷子川沿いにスカーフの染色工場が点在していたが、スカーフ工場については現在全て姿を消した。現在は区内の大半が住宅地であるが、大規模小売店舗は団地周辺を除くと国道16号を含めて道路沿いの郊外型が少なく、駅近辺に集中している。

川島町
西川島町
白根町
白根一~八丁目
中白根一~四丁目
上白根町
上白根一~三丁目
鶴ケ峰一~二丁目
鶴ケ峰本町一~三丁目
市沢町
左近山
小高町
三反田町
今宿町
今宿一~二丁目
今宿東町
今宿西町
今宿南町
都岡町
川井本町
川井宿町
上川井町
下川井町
若葉台一~四丁目
矢指町
金が谷
金が谷一~二丁目
笹野台一~四丁目
今川町
四季美台
中沢一~三丁目
中尾一~二丁目
二俣川1~2丁目
本村町
本宿町
南本宿町
大池町
万騎が原
柏町
さちが丘
東希望が丘
中希望が丘
南希望が丘
善部町
桐が作

面積 32.78km2
総人口 248,292人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:保土ヶ谷区、戸塚区
緑区、瀬谷区、泉区
区の木 ドウダンツツジ
区の花 あさがお
区の昆虫 ホタル

港南区

港南区(こうなんく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。行政区再編成により、1969年(昭和44年)10月1日、南区より分区して発足した。かつては農村地帯が広がっていたが、1950年代から虫食い的に宅地開発が始まった。1970年代には野庭(のば)団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され、人口は爆発的に増加した。発足時の人口は約9万5千人であったのが、現在では約22万人の暮らす、成熟した住宅都市として成長している。

他に特筆すべきは、廃藩置県前の旧国の相模と武蔵の国境が走っているという希有な行政区ということである。
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけて横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、さらに南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号の交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。区の南北には鎌倉街道、東から北にかけて環状2号、南には環状3号が通っている。

商業地は主に上大岡駅周辺と港南台駅周辺で、区役所や警察署など官公庁は港南中央駅周辺に集中している。特に上大岡駅周辺においては、横浜市の副都心として位置付けられており、市街地再開発事業が進行中である。

大久保一丁目~三丁目
上大岡東一丁目~三丁目
上大岡西一丁目~三丁目
上永谷一丁目~六丁目
上永谷町
港南一丁目~六丁目
港南台一丁目~九丁目
港南中央通
最戸一丁目~二丁目
笹下一丁目~七丁目
下永谷一丁目~六丁目
芹が谷一丁目~五丁目
野庭町
東芹が谷
東永谷一丁目~三丁目
日限山一丁目~四丁目
日野一丁目~九丁目
日野中央一丁目~三丁目
日野南一丁目~七丁目
丸山台一丁目~四丁目

面積 19.86km2
総人口 221,907人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市:南区、磯子区、戸塚区、栄区
区の木 クロガネモチ
区の花 ヒマワリ、キキョウ、アジサイ
区の鳥 シジュウカラ

戸塚区

戸塚は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた。明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。横浜市の副都心として指定されている。

都市整備は市中心部に比べて大幅に遅れている。特に新興開発地である東戸塚地区と異なり、戸塚駅の西口再開発事業が商店主の反対もあって計画が遅れ、一帯の再開発が課題となっていたものの、2007年6月より本格的に事業が着手され工事も開始された。2012年度中の完成を予定している。これにより、戦後の闇市以来の歴史を有する「旭町通商店街」は消滅する。

面積は横浜市の区の中で最大である。人口は第3位。

区域は北東から南西にかけて延びており、中央部を暴れ川と呼ばれた柏尾川・東海道線・国道1号が縦断する。柏尾川流域は古くからの工場が多く、その他ほとんどの丘陵地が住宅地として開発されている。谷戸や沢の地形が多い。

深谷町に広大な在日米軍深谷通信所(送信施設)があり、瀬谷区の上瀬谷通信所(受信)とともに、国内屈指の通信施設となっているが、深谷に関しては全面返還が内定している。なお近隣住民は、テレビなどの受信障害のため、現在も米軍から補償を受けている。

地名
秋葉町、影取町、柏尾町、上柏尾町、上倉田町、上品濃、上矢部町、川上町、汲沢町、汲沢一~八丁目、小雀町、品濃町、下倉田町、戸塚町、鳥が丘、名瀬町、原宿一~五丁目、東俣野町、平戸町、平戸一~五丁目、深谷町、舞岡町、前田町、俣野町、南舞岡一~四丁目、矢部町、吉田町

元々の戸塚区は、現在の瀬谷区(1969年分区)、泉区(1986年分区)、栄区(1986年分区)などを含み、きわめて広大な面積であった。これは、成立当時の横浜市が旧武蔵国であったのに対し、周辺町村を吸収合併し続けていく過程で、旧相模国鎌倉郡であった町村のほぼすべての部分を戸塚区としてまとめたからである。したがって、区内に「湘南」という地名を冠する機関があるが、戸塚区、瀬谷区、泉区、栄区は、“横浜でありながら鎌倉・湘南でもある”(湘南には相模の南という含意もある)ためであって、なんら不自然ではない。
「戸塚」の語源は、区内にある富塚八幡宮の「富塚」(とみづか)から来ているとする説が有力である。同社は富属彦命(とつぎひこのみこと、相模国造二世の孫と伝える)を主祭神とし、社殿背後には彼を葬ったという前方後円墳があるが未発掘。区内には縄文時代以来の遺跡も多い。上矢部町の富士山古墳(円墳。径25メートル)からは多様な埴輪が出土した。
律令制下では、相模国鎌倉郡に属した。中世までは高座郡であったとする説もあるが、面積や境界での不自然さがあり、説得性に欠ける。境川が文字通りの郡堺と考えられる。
吉田町一帯は、中世の豪族山内首藤氏が治めた吉田荘の一部である。
平安後期から鎌倉期には鎌倉党の一族がいたもようである。始祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」などが区内近隣に遺っている。

港北区

港北区(こうほくく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。

横浜市北東部に位置し、東急東横線を中心とする東部には、一戸建て住宅中心の閑静な高級住宅地が、横浜市営地下鉄を中心とする西部にはマンション中心の新興住宅地が広がっており、その一方で広い区内には随所に豊かな自然も残っていることから、市内でも人気の高い地域である。また南部の新横浜駅周辺は現在、新横浜副都心として再開発が行われている。

人口・世帯数はともに横浜市のみならず、日本の政令指定都市の行政区の中で最大である。

1939年(昭和14年)4月に都筑郡下の各町村が横浜市に合併した際、神奈川区から分区する形で成立した。都筑郡下の各町村は都筑郡一体での行政区成立を望んだが、地理的条件などを勘案し、神奈川区の大綱・日吉・師岡の各地区に城郷地区の一部、そして都岡・二俣川を除く都筑郡の各町村を以って一行政区とされた。成立当時の名前の候補として、菊名区が挙げられたが、横浜港の北にあるということで港北区に決定した。

誕生当時は、現在の港北区・緑区・都筑区・青葉区に保土ケ谷区の上菅田町・新井町をあわせた区域だったが、1969年に緑区(現在の緑区・青葉区及び都筑区の一部)を分区し、上菅田町・新井町は保土ケ谷区に編入。さらに1994年11月に行政区再編成により、区の北西部地域が都筑区に分区編入されて現在の港北区に至る。

東急東横線の沿線を中心に住宅・商業地域が発達している。横浜線、横浜市営地下鉄沿線は緑を残しつつもニュータウンや大規模なマンションなどが立ち並び、今なお開発が進んでいる。新横浜駅周辺は横浜の副都心として発展している。数年後には高さ20階建ての駅ビルが完成しすべてののぞみ、ひかりが新横浜に止まることになる。

2002年のFIFAワールドカップ?の決勝の舞台となった現日産スタジアム、当時の横浜国際総合競技場があることでも知られる。

元々鉄道沿線の駅前を中心に商店街などが連ねていたが、最近大規模開発が行われている新横浜駅周辺が商業の中心地になりつつあり、港北ニュータウンの発展も含めて企業の進出も多い。日吉地区も地下鉄路線の開通を睨んでサンテラス日吉などの商業施設が増加している。

現在でも田園風景が多く残っており、市内でも農業が盛んな区の一である。
古くは鶴見川を中心に稲作や果樹(モモ・ビワ・イチゴ)など東京などに向けた近郊農業が盛んに行われていた。
現在は新羽・大熊農業専用地区などを中心にホウレンソウ、小松菜など軟弱野菜の生産が行われている。
戦前、全国的に有名だった綱島の桃「日月桃」があった。

綱島(綱島東・綱島西・綱島台・綱島上町)
大曽根(大曽根台を含む)・樽町
太尾(ふとお。大倉山駅周辺。なお、2006年現在「大倉山」は地名ではない)
大豆戸(まめど)
菊名(錦が丘、富士塚を含む)
篠原(新横浜、仲手原を含む)
岸根
日吉(日吉・日吉本町・下田・箕輪町の四町)
城郷(旧橘樹郡城郷村のうち港北区に編入した二町。小机・鳥山)
師岡(もろおか)
新田

面積 31.37km2
総人口 319,853人
(2007年7月1日)
隣接自治体・行政区 横浜市鶴見区、神奈川区
緑区、都筑区
川崎市幸区、中原区
高津区
区の木 ハナミズキ
区の花 ウメ

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